浦永雑記

つれづれなるまま綴る雑記

はじめての “奉納“

——奉納。

「奉納(ほうのう)とは、
 神仏や精霊などに対して供物を捧げる宗教的な行為。」
Wikipediaより)


浦永は、以前から、人生1度くらい何かを寺社仏閣に奉納してみたいものだ、と思っていました。
石柱とか灯籠的なものを。


とはいえそれは、
石に刻まれたものって、たぶん数百年くらい残るし、自分の生きた痕跡をそのくらい残してみるというのもいいかもしれないな、というだけの理由によるものです。


ちなみに浦永は無宗教です。
特定の神様といったものは信仰しておりません。
ただ、基本的に、世の人々が脈々と信じている「存在」および土地ごとの伝統や文化、そして自分の中にある集合的記憶のようなものに対しては敬意を持って接する、という方針に則って暮らしております。


なので、寺社仏閣/教会/モスク/シナゴーグほか、人々の「祈りの場」を訪れる際は、どこであれ合掌し、祀られているものに挨拶することとしています。
(※新興宗教及び政治に介入する宗教は例外)


そんな私が、このたび、
石ではないもの(お酒)を奉納してきました。
なぜそんなことになったのか?
具体的にどんな感じだったのか?
今回はそんなお話について書きます。



遡ること、1年前。
浦永は友人たちと山陰地方へ縁結び旅行に出かけました。
Because we are 妙齢。
無宗教であっても何かに縋りたくもなるお年頃です。

そして、縁結びで有名だという神社3社を参詣しました。

するとどうでしょう、
参詣当日を境にネット上の人間関係が急速に発展、
それを機に想像もできないような濃密な1年を過ごすことができました。


あまりに急激な変化だったので、さすがに無宗教の私も思いました。

「これは来年お礼参りに行かなあかんやつや……」と。



にしても、お礼参り。


手ぶらでは何だか、この感謝の気持ちを伝えきれない気がする。

そう言えば、よく神前にお酒がお供えしてあるのを見る(一升瓶とか樽酒とか)。

そうだ、この際、生まれてはじめての『奉納』をしてみよう。



そう思った私は、仕事の繁忙期真っ只中の金曜日21時過ぎ、
みどりの窓口に駆け込んで翌日の列車の切符を確保し、その足で「酒屋 営業中」でGoogle mapを検索。
すると、帰りの路線を途中下車したところに遅くまでやっている酒屋があることが判明したので、そこに行ってみることにしたのでした。


駅から夜道をそこそこ歩いた住宅地の中にあるそこは、
個人経営の、なかなか…なかなかディープなお店でした。
恐る恐る入店すると、どうやらかなり年配のご夫婦が営まれているご様子。浦永は緊張しました。
「これ……私のして欲しいこと頼めるかしら……」と。


彼らにとっても、
夜も遅い閉店間際に、何の基準で品定めしているのかわからない
(冷蔵庫から小さなボトルを取り出しては首を捻り、戻してみたり、やっぱり手にとってみたり、を繰り返す)謎の女性客は、さぞかし奇異に映ったことでしょう。


そして浦永は店で2番目に小さな酒瓶を2本手に取り、
意を決して、ネットで得た知識を元に親父さんに声をかけました。


「……この2本を頂きたいのですが、
奉納用にして頂けますか』?」


というのも、どうもネットの情報では、どこの酒屋さんでも、『奉納用にして頂けますか?』と頼むと、うまいこと奉納用の外装に誂えてくれるらしい、と書いてあったからです。大切なことはすべてインターネットが教えてくれる時代。


親父さんはさぞ驚いたのではないかと思いますが、
顔色を一切変えず(もっと言うと、にこりともせず)低い声で言いました。
「2本まとめてかい?1本ずつ?」
浦永は心の中で「通じた!」とガッツポーズをキメました。



さて、2本まとめて、もしくは1本ずつ、というのがどういうことかというと。

よくあるお供え用のお酒というのは、こんなふうに2本を一つにしてまとめてあるらしいのです。


そしてネットの情報によると、2本お供えした時は1本をお下がりとしてもらって帰ることができる(そして神様の力の宿ったお下がり(お神酒)を飲むことができる)らしいとのこと。



しかし浦永としては、今回電車及びバスで遠方まで移動する計画であること、また、複数箇所を回る予定であることから、自分の手に持てて1箇所1本が限界である、と判断していましたので、「別々でお願いします」と答えました。


親父さん「で? ほうけん、とかでいいかい?」
浦永  「(…よくわからんけどその道のプロに任すか…)
     それでお願いします」
親父さん「……名前」
浦永  「へっ?」
親父さん「奉納する人の名前だよっ!」 


一瞬、SNSに掲載することを考えて「浦永」にしてもらうかどうか悩みましたが、それもどうかと思い、今回は本名を書いてもらうことにしました。


親父さんは、浦永さんね、と呟きつつカウンター下から
包装紙を取り出して、ボトルをくるくるくるっと手際よく巻き、
流れるようにシールで封をして、
小さなのし紙に手慣れた様子でさらさらと
「奉献 浦永(※実際には本名ですが仮名で浦永とします)」
としたためてくるりとテープで貼ったものを、ビニール袋に入れてくれました。


ちなみに、買ったお酒はこちらです。
www.born.co.jp


これが2本持って移動するにはギリギリのサイズだったので。
飲んだことないお酒でしたが、後から調べたら精米歩合の高いお酒らしくて清らかでお供えに良さそうな気がする(お酒のことも奉納のことも知らんけど。)



かくして、私は翌朝早く、酒瓶2本を手に山陰へと向かったのでした。


さて、今回のお礼参りでは3社を回りましたが、
そのうち1社は超ド大手(いわば壁サー)だったので、小さなお酒を奉納するのも気が引ける、と思い、そこではお賽銭を多めに投じることで替えることにしました。

なので、実際に奉納するのは2社です。
さて、実際の奉納とはどんな感じなのでしょう。


パターンA
「見たところ、神前に奉納されているものが一切なく、
 神主さんや巫女さんも常駐しておらず、物販の方だけしかいない神社」


浦永は親父さんに包んでもらったお酒をスッ…と取り出し、ネットに書いてあった通りに以下の文言を唱えました。
「すみません。去年、
ご利益を頂きましたので、こちらを奉納したいのですが』。」
どうも、奉納する際はこの言葉を唱えるとスムーズに受け取ってもらえるらしいのです。

実際のお酒がこちら

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(プライバシー保護のため画像改変及び包装紙に全力のレタッチを施してあります)

物販の方は明らかに
「えっ……どうしよ……逆に超迷惑なんですけど……」
という顔をしました。

そして、
「どうしよう……あの、これじゃどこの浦永さんかわからないから、とりあえず住所と下の名前も書いてください」
と筆ペンを貸してくれました。

浦永はその筆ペンで言われた通りに追記したものを物販の方に渡しました。

物販の方は、「それではお預かりしますので」とお酒をどこかにしまいました。





それだけ!?って?



そうです。




それだけです。



終〜了〜!




あっけないものです。

では次のパターンに移ります。


パターンB
「すでにそこそこ、お酒やお菓子など10数件のお供えが神前に確認でき、神主さんも巫女さんも常駐、かつシーズンの都合で祝詞上げっぱなしの神社」


こちらの神社はパターンAとは真逆、
ぱりっとした装束に身を包んだ職員さんが何人もいます。


そして折しも11月、七五三真っ只中。


小さな境内は子供とその両親、祖父母たちで埋めつくされ。
神主さんたちも途切れることなくENDLESS祈祷モード


浦永はお守りを売っている若い巫女さんに同じ台詞で切り出しました。

「すみません。去年、
『ご利益を頂きましたので、こちらを奉納したいのですが』。」


巫女さんは微笑むと、手慣れた様子で台帳を差し出して、
「ありがとうございます。それではこちらにご住所お名前とお願いごとがあれば書いてください」
と言いました。



…いいとか悪いとかないけど、パターンAと全然違うのである。


奉納したお酒と巫女さんのそで

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(やっぱりプライバシー保護のため画像改変及び包装紙に全力のレタッチを施してあります)

お願いごとは、他の人が四文字熟語で書いているのを参考に
「良縁祈願 諸芸上達」と書きました。
(諸芸〜は文章が上手くなりますようにの意をこめて)



私が書き終わると、巫女さんは
「それではこちらでお納めしておきますね!」
とお酒をどこかにしまいに行き、何事もなかったようにお守りを売りはじめました。



そう、こんなにもあっけない。


浦永は本殿に向かって合掌する前に、散歩がてら
境内をぐるっと回ってくることにしました。



しばらくして戻ってくると、ちょうどまた次の祈祷が始まるところでした。


ちょうどいい、私もお賽銭箱の横に立っておいて、お祈りしながら、自分も祈祷を受けた気になることにしよう。


そう考え、「ああ、左の奉納棚に大きなお酒がいっぱい奉納されていることよ」と思いながら何気なく前方を見たときです。






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浦永「え? あれ、私の納めたやつ??」


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アリーナ最前列ゥーーーーーーーーー!!!!!



すごい!神主さんよりも神様に近い!しかもご丁寧に
三宝に乗せてもらっとる
やないかい!!えーっ!良かった!

一回時間置いて戻ってきてこれ見れて良かった!
ちょっと神様、そのお酒私からのなんです!高いお酒じゃないしちょっとしかないけど、ご飯食べる時に飲む用にでもよかったらどうぞ!!!
去年すごくご利益頂いちゃったのでね!ささやかですがそのお礼です!!!お口に合いましたら幸いです!!!
と、神様に心の中でめっちゃ語りかけました。


そうして、祈祷が終わると。
神主さんは浦永が奉納したお酒を三宝ごと下ろし、
どこかに持っていきました。

どこ行ったんだろう、あのお酒…




終〜了〜!!!



「はじめての奉納」一丁上がり!!!


納めたお酒はどうなるのか、捨てられるのかもしれないし
神社側としては現金の方が嬉しいのかもしれませんが、
何かを奉納するのは非日常でちょっとテンションが上がるし、
神社によって対応はまちまちなので、面白いです。
神様的にはどうなんでしょうね。現金の方がいいのだろうか。
まあでも神様からしても、あんな小さなお酒、
それこそ非日常で、たまにはこういうのもいいか、って
面白く思ってくれるかもしれない。


というわけで、はじめての奉納は完了したのでした。


自分の気持ちの節目なんかにいいかもしれませんね。
私もまたいつかやってみたいと思っています。

Jewelry from INDIA via...

インドのジャイプールは古くから宝石の街として知られていて、その中でもAmrapali(アムラパリ)というジュエリーブランドの品々は、日本からでもネットを介して購入することができるらしい。


webサイトを見てみるに製品のデザインもかわいいし、インドから荷物が届くとしたらわくわくする!と思って、実際に個人輸入してみた記録です。


◆購入〜決済
アムラパリの公式サイトで、他のECサイトのようにカートに入れる→クレジットカード決済します。
200USD以上だと配送料が無料と書いてあったので、3点で201USDになるように品物をチョイス。


決済画面に進むと、輸送方法は
①EMSなら無料
②補償ありの宅配便なら有料
とあり、さらにクレジットカードでの決済方法は

①インドの国内銀行経由
②名前を聞いたことのない(調べたらアジア圏ではメジャーらしい)決済サービス経由
PayPal経由
の3種類から選択できるようになっていました。


ネット上のご意見では「配送事故に備えて補償ありが安心!」「PayPalは手数料は高いけど情報保持の点では安心!」と目にしましたが、迷わず浦永は
①EMS かつ ①インドの国内銀行経由
を選択。

浦永は「石橋を叩くには通行料が要るよ」と言われたら叩かずに速攻で渡る主義です(=吝嗇)
あとこういうのってwebデザイン上、一番スタンダードな決済方法を一番上に持ってくる気がする。というわけで①×①です。



◆届くまで
さて、あとは届くのを待つばかり。
購入直後のメールには「発送したら連絡するけぇそれまで待っててつかぁさい!」と記載されていましたが、折しもCOVID-19で大騒ぎの時期……発送連絡およびUPSアメリカに本社がある巨大物流企業)での追跡番号が来るまでは10日くらいでした。

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配送ラベルがつくられ、
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ジャイプールを出発。

そもそもジャイプールからMY HOMEまでは5,700kmありますが、一体どうやって来るのでしょう。
インドから日本への船便は最低2か月かかるらしく、この時点で2020/05/28到着予定と表示されていたので、きっと飛行機で来るのだろうと目星をつけます。

飛行機の就航状況を調べてみると、
・インド→日本への直行便は旅客機ベースで考えればデリー/ムンバイ/バンガロール/チェンナイ→東京のみ(カーゴはまた別の可能性がある)
・アムラパリのあるジャイプールには国際空港はあるけれど、タイ/UAE/オマーンにしか就航していない
なので浦永予測では、まず

・ジャイプール→(5h陸送)→デリー

ここまでは確定であろうと考え、関西在住なので、

①デリー→東京→(陸or空)→関西
②デリー→香港とかバンコクとかアジア内の第三国→関西
このいずれかのルートで配送されると考えました。


数時間のうちに続々と更新されていく進捗を眺めていると、UPSのお兄さんだかお姉さんだかが機械でバーコードをピッと読んだりしている姿が思い浮かびます。

ジャイプールって、どんな街なんだろう。

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UPSのジャイプールオフィス周辺の地図を見るに、近所にOld Take Away The Kebab Shopという店があります。
おいしそうな気配を感じて調べてみたらかなりの人気店みたい。

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近くにこんなカフェもある。ジャイプールって都会なんだな~なんて思いながら進展を待っていると、

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「とりあえずニューデリーまでは着いたわ!ここからまた別のところに移動するけぇ!」との表示になっていました。
やはりデリー(インディラ・ガンディー国際空港)から飛行機に乗るようです。


さぁ、ここからバンコク?それとも香港?何にせよ飛行機に乗っちゃえばあとはすぐ到着するね、と待っていたところ
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ケルン…


職場でスマホを2度見しました

ケルン…
ケルンってドイツ…?ちゃんとGermanyって書いてあるわ…ドイツだね…

ここで浦永はある可能性に気づきました。
UPSは自社便で限界まで運ぼうとしているのではないか。
誰の力を借りるでもなく。己だけの力で――と。
こういうピッチャー、野球漫画とかに出てくるよね。己の力しか信じないやつね。
無茶しやがって…おわかりいただけるだろうか。
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ニューデリー→ケルンまで約6,200kmあるんすよ(日本とは逆方向に)

ネットで調べたところ、ケルンにはUPSの航空HUBがあるようなので、提携他社に頼むのではなく限界まで自社ネットワークで運ぼうとした結果この経路になるのだろう。そうとしか考えられません。

仕事から帰り、夜中にFlightrader24というwebサイト(世界中の飛行機の飛行状況がわかる)を見てみると、確かにUPS機のルートでデリー→ケルンというのがあります。ではケルンから日本へはどうやって?

同サイトで調べるに、ケルンからのUPS機は香港と深圳と仁川にそれぞれ向かう便があるので、このいずれかを経由するのではないか。
そしてこんなことを考えながらよくよく見ると、ちょうどカザフスタンの上空を飛んでいる飛行機がケルンから深圳に向かっているではありませんか。


これだ。浦永は確信し、ニヤリと笑いました。

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翌朝目覚めて状況を確認したところ、BINGOです。やはり荷物は昨晩カザフスタンの空を飛んでいて、深圳に到着したのです。それにしても
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ケルン→深圳は9,200km。ジャイプール→ニューデリー間の270kmを足すと、現時点で地球0.4周くらいしている計算になります。
UPS、君の戦い方はどうかと思う。県大会は通過できたとしても甲子園本戦は――


ならば、深圳→成田or関空のどちらに来るのか?ということで検索。深圳→関空はそれらしい便がない。
では、深圳→成田の検索結果は…
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見つけた――!
自社機材を使うためにケルンまで経由させるUPSなら絶対に成田に来る、間違いない。

で、きっと日本国内に入ってからはUPSの日本での提携先のヤマト運輸にバトンタッチする流れだな。
深圳なら明後日くらいには届くかもしれない…

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と思ったら深圳で足止め。
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足止めされたかと思ったら、深圳からが急(9時間のうちに成田経由で大阪まで)

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その後、税関で書類検査を受け、

5/22の出発から10日経った今日(2020/06/01)…ついに、

「こんにちはー!ヤマト運輸ですぅー!代引きでお荷物届いておりますぅー!」
ここで、関税800円を支払いました。なるほど、こういうシステムね!
というわけで、来た!お疲れ!大変だったね、ケルンまで経由してきてさ…
「こんな遠回りするとは思わんかったけぇのぅ。たくさんの人たちに運んでもらってここまで来たけぇ、大切にしてつかぁさい」


あれ?でもEMSで来なかったね?UPSだし国際宅配便だね…?
クレジットカードの利用明細を確認しましたが、追加の送料は一切かかっていませんでした…。
ていうかインド本国の銀行経由の手数料もほとんどかかっていませんでした…。



◆届きました

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この大きなゴシック体、物々しくてイカすぜOK!
少し期待しましたが、スパイスみたいな匂いとかはしませんでした。

外側のビニールを外していきます。

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白い布にうちの住所と私の電話番号が直書きされている。

インドはどんな荷物を運ぶ際も、箱に入れてから白い布でくるむ習慣があるそうです。郵便局の近くにはどこでも「箱包み職人」がいて、彼らにお金を払って包んでもらうんだそうな。ネットで「インド 荷物 白い布」で検索すると箱包み職人さんたちの写真が出てくるよ。

布で包むということで、糸で縫ってくれるんだね。まつり縫いに玉留め、開けるのが大変なほど厳重に縫い綴じた上から、ロウで蓋がされているーー

いや、こっち側はまだいいけどさ、
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逆側…
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…事件現場かな?


この布や糸やロウはどこでどうやって作られているんだろう、というのも考えてみると奥深い。
目の前の小さな箱が、映画でしか見たことのない向こうの世界といま自分がいるこちらの世界のつなぎ目のように見えてくる。
ちなみに送り主のお名前は明らかにシーク教徒さんのお名前で、きっとターバンを巻いてらっしゃるんだろうな~なんて想像も膨らみます。


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白い布袋(を縫い綴じる構造になっていた)からは銀紙でできたみたいな箱が出てきて、

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ていうかこの箱、銀紙かと思いきや金属でできてて(この箱をつくる職人さんたちもまた現地にいるのね…!)

厚く敷かれた緩衝材の中の、さらに何重にもなった緩衝材やビニールパウチを開けていくと、

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あら!

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いいじゃない!

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しかも袋なんて、耳飾りが摩擦で傷つかないように中に仕切りがついている――

こういう袋の設計や梱包の丁寧さやからもわかる通り、ものすごく仕事が丁寧でびっくりしました。
ジュエリーそのものも構造がすごく凝ってて、作った職人さんたちの腕やデザインにも感嘆する。
近い将来、ぜひまた購入したいと思ってしまいました。


何より、
ネットでお買い物をすればインドから日本まで、ドイツと中国を経由して荷物が届く。
物流ってすごいや、と思った一件なのでした。

浄土を訪ねる (3)ノルウェー/オスロを散歩する-前編-


オスロ市内に足を踏み入れた!トラの像があります



駅ナカはおしゃれなフードコートになっていて、YO! SUSHI(ヨー!スシ)が気になる



へえー!ポン酢ソースでサーモンのお寿司を!おいしいかもしれない。



とにかく、街中で工事をしていた



オシャレカフェー



CATの重機を眺めながらの菓子パンはうまい




これね!わかりますか?オレオを牛乳にダンクして食べるとうまいよ、って広告なんだけど、オレオがダンクシュートを決めてるんですよ!



市内をぶらり



確か医療の啓発のインスタレーションアートだったような・・・




鮭やー!!!さすがノルウェーやでー!とハチャメチャにテンションを上げてくれた石像 かわいい




王宮。1848年に建てられた。今も国王様が住んでいらっしゃるらしい。


王宮から市内を見おろす



王宮の前には衛兵がいるよ(イギリスみたい!)



衛兵の顔がみんなとてもよく似ていて「王室の好みの顔の系統なのだろうか」と感じた
近寄りすぎると「それ以上はダメですよ!」って怒ってくる(怒らせてごめん)



え、ちょ、これは・・・



シルバニアやーん!!!!!!!(おもちゃ屋さんでした)
ノルウェーに!シルバニアが!!いる!!!!



「うさぎのかぞく」!!!(ノルウェー語にするとKaninfamilie?)



かわうそのかぞく」!!!(おねえちゃんの貝殻のポシェットがかわいい)



ゴッツちゃんもおる!(※浦永は輸入玩具店でバイトをしていた過去があり、その際にこのドイツ製の人形を販売していた)



お人形用の!赤ちゃんベッド!




おもちゃのキッチンがこんなに!


これ全部、おもちゃのベビーカーなんです・・・多様性がすごい・・・


人形用のソファもこんなにたくさん!おもちゃ好きにはたまらんオスロおもちゃ屋さん。
しかもこれがトイザらスみたいな郊外の大型店じゃなくて普通の路面店みたいなところで売られている。
このおもちゃを見るだけでもノルウェーの家はきっと大きいのね・・・ということがわかる



スーパーに置いてあった、長ーい食パンをカットしてくれる機械



オスロ市庁舎。1950年に建てられた。



よくよく見ると、時計は黄道十二星座がモチーフになっている。



毎年12月にノーベル平和賞の授賞式が行われるホール。床は大理石。



街の歴史が表わされているそうなのですが、



建築現場の労働者を描いた壁画、というのは珍しいのではないでしょうか。



ドット絵っぽくてかわいい。OSLOって書いてあるし。



市議会議室。



机が使いやすそうですてき。今見たらコップが置いてある・・・直前まで使われていたのだろうか。



ぶらぶら散歩、午後からはあの有名な映画に出てくるお城にも足を延ばします。

(4)ノルウェーオスロを散歩する-後編- につづく。

浄土を訪ねる (2)ノルウェー/オスロまでのフライト


出発 on ターキッシュエアライン



機内ではターキッシュディライト(トルコの呼び方では「ロクム」)というお菓子がもらえる。砂糖やコーンスターチやナッツを混ぜて固めたやつ。
ナルニア国物語の「ライオンと魔女」では白い魔女エドマンドを誘惑するのに使われる(日本版ではプリンだけども)



ターキッシュエアラインの機内食は基本的にハラールなので、この肉団子は鶏なのだろうか?瓶でもらえる白ワインがおいしい。スイーツがプロフィットロールでテンションが上がりました



機内でもらえるアメニティ。白い丸いのはヴァセリンです。この靴下、最高によれよれで、たまに足を保湿して寝るときに今でも重宝している(足を締めつけない!)



イスタンブール上空




Aの同伴者として入れてもらったアタチュルク国際空港のラウンジ。世界一豪華だという声もあるとか



デメルのお菓子が食べ放題という天国のようなところである。
オリーブを20種くらい食べ比べができるオリーブバーみたいなのもありました



さあ、オスロまでの飛行機に乗ります



鮭 デザートはチョコプリン



雪を頂いたお山がきれい



パスタのトマト煮的なやつ。デザートはクラフティでした。デザートの幅が多くてうれしい



ノルウェーオスロのガーデモエン国際空港に着いたよ。前傾姿勢で疾走する非常口がかわいい


空港からオスロ市街地までは電車で移動します。車内は日本の新幹線の中のようにピカピカで清潔感がある。


さて、ノルウェーオスロとはどんな街なのでしょうか。つづきは(3)で!

浄土を訪ねる (1)"なんかいいとこ"

会社を辞めた。
と言っても、もう何年も前の話だ。
転職先は決まっていなかった。
ただとにかく、自分のためだけにしばらくゆっくりしよう、とだけは決めていた。


「ようやく休めるんやったらどっか行かへん?」
声をかけてきたのは、友人のAだ。
「私はちょうどGWあるしさ」
「いいね!どこ行く?」
胸を躍らせる私に、Aは予想もしない国名を告げた。
アイスランドはどうかな」


アイスランド


あなたはアイスランドという国をご存知だろうか。
世界地図の左上のほうにある、Wikipediaによると北海道と四国を合わせたくらいの面積の島である。

アイスランド・・・」
「なんかいいとこらしい」
かくして、無職の私はA(数十カ国を旅している旅のプロである)と、
北欧の「なんかいいとこ」を旅することになった。


今となっては長期休暇の度に海外を徘徊している私だが、それまでは代理店経由の旅しかしたことがなかった。
彼女と旅行のプランを組み立てていく過程で、
「飛行機のチケットはSkyscannerで探す」
「宿はtripadvisorで調べて一番安いサイトで予約すれば確実」
等のバックパッカーのイロハが私に叩き込まれていった。



日本からアイスランドへの直行便は(2020年4月現在でも)就航していない。

安いチケットを比較検討した上で、私たちは
東京
 ↓
トルコ/イスタンブール
 ↓
ノルウェーオスロ
 ↓
アイスランドレイキャビク
というルートの、ターキッシュ・エアラインのチケットを買った。確か往復11万円ほどだったと思う。


「行く前に、これ読んでみたらどうかな?」
Aが私に本を貸してくれた。
「『風とマシュマロの国』・・・著:ふかわりょう!?」
ふかわりょう、めっちゃアイスランド好きらしい」
言われるがまま読んでみたところ、アイスランドの空気が伝わってくるような気のする、いい本であった。

風とマシュマロの国

風とマシュマロの国


ふかわ氏は、一人でレンタカーを借り、何度もアイスランド各地を旅しているそうだ。
この「マシュマロ」というのは彼が羊を形容するのに使っている表現なのだが、つまりアイスランドには、たくさん羊がいるらしい。

(羊か・・・寒さで凍死したりしないのかな)
あまりに現地に対する知識がなく、出発前の私の頭の中にあったのはそんな疑問だけだった。

あの日によせて

ばさばさという音がしました。ねていたわたしの上に何かがたくさんふってきたようなかんじがしました。お父さんの声が聞こえました。
「だいじょうぶか!大きな地しんだ。」
お父さんがふとんをどけてくれました。
あかるくなって、あたりを見ると、そこは本の海でした。たくさんの、本、本、本が、まわりをうめつくしています。いもうとも、本とふとんの間からほりおこされて、ねむたそうに顔を出しました。
ふっていたのは、本だなの中の本でした。

「お母さんは?」
「テレビの下じきになってるけどだいじょうぶ。今から助けてくる」
やがてお父さんがお母さんを助けだし、四人で台所に立ちました。
「あぶない!」
「きをつけよう!」
家のゆかは、どーん、ぐらりぐらりと、ゆれつづけています。

お皿がたくさんわれていました。
いろんなものがちらばっていました。
家の中じゅう、ぐちゃぐちゃで足のふみ場もありません。
何とかへやから上ぎをとって、ぐちゃぐちゃなげんかんでくつをはいて、みんなで外に出ました。

外に出ると、マンションに住むたくさんの人がいて、大人の人たちは
「おーい、みんなだいじょうぶか!」
「これは地しんやなぁ!」
「とにかくじょうほうをあつめないと!」
と声をかけあっていました。
「水が出ない!」
「でんきも止まってる!」
わたしが外のじゃぐちをひねると水が出たので、お父さんにほうこくしましたが、その水もすぐに出なくなってしまいました。

ちゅう車じょうにあつまって、車のラジオをつけました。
「そんなに大きな地しんだったのか」
「近くの家、くずれてる。助けに行ってくる」
大人たちは近所を見に行きました。
たくさんの家がつぶれていて、助けようとしたけれど、下じきになって助からない人たちが何人かいたと聞きました。

夕方、おおさかに住むおじいちゃんたちが二人とも、リュックサックに水やおべんとうやおかしをつめてやってきました。でんしゃが止まったので、と中からずっと歩いてきてくれたそうです。しっかりもののほうのおじいちゃんのもってきてくれたコンビニのオムライスは、つめたかったけど、おいしかったです。おもしろいほうのおじいちゃんは、おかしをたくさんもってきてくれましたが、元気がでました。二人とも、もうコンビニにはほとんど何もおいてなかったと言いました。
その日から、しばらく車の中でねました。

小学校は、ぴかぴかの新しい校しゃをたてているところでしたが、それはわたしたちがつかう前に、「ひなんじょ」になりました。
たいいくかんのやねは、地しんでぜんぶおちて、「ひなんじょ」につかえなくなっていたからです。
水がないので、朝はお母さんといもうとと近くのきゅう水所へ、夜おそくにはお父さんとお母さんがどこかに車で、水をとりにいきました。
おふろに入れなかったので、自てん車にのっていろんなとおいおふろやさんまで入りに行きました。

テレビでひがいのようすを見ました。しっている高かや道ろがくずれてまるごとおちていました。ビルもまよこにたおれていました。こうべのあたりはとくにひどくて、火じがたくさんおきて、家がたくさんつぶれて、人がたくさんなくなったとのことです。

やがて小学校の先生がかていほうもんに来ました。お母さんが、おばあちゃんがくれたバームクーヘンを一本おすそわけすると、「みなさんもこんなにたいへんなときに」と言って、先生は泣きました。先生は、こうべの地しんが一ばんひどかったところから学校にかよっていたと、あとになって知りました。

そのうち学校がはじまりました。じゅぎょうは、さむいりかしつでやります。ひなんじょに住む友だちもやってきました。わたしのしっている人はみんなぶじだと聞きましたが、きている人はあまりいませんでした。
日にちがたっても、お友だちはそんなにふえませんでした。みんな、どこかにひなんしていったのです。
なかの良かったお友だちも転校したと聞きました。
それからしばらくたって、うんどうじょうのまん中で、その子の名前が入ったえんぴつをひろいました。
まい日のように会っていた子が、さよならもいわずにはなればなれになるとは思わなかったな、と思いました。


大人になって、当時のニュースを見聞きして涙ぐむことが増えました。自分があのときの両親に近い年齢の社会人になり、未曾有の災害の中で子どもたちを育ててくれた大人たちの苦労を、年々想像できるようになってきたからです。誰もが必死で、もしかして一々大変だなんて思っていなかったかもしれないけど、生活していくための何から何まで気の遠くなるような労力も時間もかかっていたことは確かです。
たまたま転職する前後とも関西に縁のある仕事をしているので、先輩方から当時の話を聞くと、「人力でそこまでやったの⁉」「関西が地震から立ち直っていった背景には若かった頃の彼らがいたんだなぁ」などとびっくりするやら感慨深いやら、二十五年という歳月の長さについて考えさせられることも少なくありません。

日々立ち向かう仕事はしんどくて、職場に行きたくないと思うことも正直しょっちゅうあるけれど、いつかの誰かのためになる仕事だと自分に言い聞かせ、文句や愚痴はこぼしながらも、せめて遠い将来の人たちが困るミスはしないように進めていきたい、との思いを毎年新たにするのが、私にとっての一月十七日です。

あの日の大人たちのようになれるよう、またここから一歩を踏み出すのです。

Fukusima, Kamikaze, Allahu Akbar

最寄りのスタバで、折り鶴を折ると広島に奉納してくれるというイベントをやっていて、2羽の鶴を折った。
どうも近くで原爆に関する展示をしているらしく、それに関連したものらしい。

鶴を折りつつ、戦争だけでなくテロや暴力が世界中から無くなればいいなと願いながら、ふと思い出したことがある。


つい先日見た何かのミリタリー系ゲームの映像で、敵が「Allahu Akbar!」と叫びながら突っ込んでくる…という演出がされていたこと。

それが本当にゲーム内の音声なのか、それとも誰かがゲームの映像に合成したものなのかはよくわからなかったけど、少なからず衝撃を受けた。

その映像のコメント欄で、誰かが「もはやAllahu Akbarがkamikaze化してんだな」というコメントを書いていた。鋭い感性だと思う。


kamikazeという単語は、特攻隊(自殺攻撃)を意味する言葉として、geishaやfujiyamaのように海外に直輸入されている。そして、欧米圏の映画を見ているとたまに登場する。…自殺攻撃を揶揄する言葉として。

Allahu Akbar(神は最も偉大なり)は、ISILなどイスラム過激派が自爆テロなどを行うときに叫ぶことから世界中に意味が伝わった言葉だと思う。平和なだけの世界なら誰もが知る言葉にはならなかったはずだ。

つまり元々の意味はさておき、今やkamikazeもAllahu Akbarも、自殺攻撃を行うほど追い詰められた(また、そうするよう洗脳された)人々の象徴としての言葉である。その苦しみに思い至らず揶揄できてしまう人々がいることを思うと、彼らもテロリストと同じほど恐ろしいと感じるし、心が寒くなる。


そして、ここ数年で、kamikazeのように欧米発の映画や本で見かけるようになった日本語の名詞がある。
"Fukushima"。この名詞が、ひどいものの代名詞として揶揄やジョークに使われる例を、最近、それこそ欧米の映画や本で、ちょくちょく見かけるようになった。

震災による原子力事故で被災したFukushimaだって、そこに住む人たちにとって大切な場所、故郷だ。
そのことに思い当たらず揶揄の種として使えてしまう人々がいるという恐ろしさ。



名も知らぬ誰かの、自分の命を犠牲にせざるを得ないほど追い詰められる苦しみや、災害や原子力事故に起因する悲しみを、想像もせずに笑いの種にできる人々が存在する限り、そりゃあ世界から戦争もテロも無くならないはずだと思う。
そして今日もまた誰かがどこかで犠牲になっている。



話を折り鶴に戻す。
こんなもの折ったって何にもならない。そんなこと誰もがわかっている。

でもそれが、逆に折り鶴の存在意義なのかもしれない。
鶴を折るだけではなく、何か別の行動をしなければ戦争もテロも減らないということに思い当たらせてくれるから、だ。



追記)
・インド映画では欧米圏の映画とは逆に、NagasakiやHiroshimaが戦争や悲劇のアイコンとして言及されるシーンをいくつか見かける。インドなんて核保有国だけど、HiroshimaやNagasakiに触れる作品が1つではない限り、原爆や戦争被害に対するある程度のイメージがあるのかもしれない。

・欧米圏の映画が〜と書きましたが、広島の平和記念資料館やホーチミン戦争証跡博物館では欧米の方々が、長崎の原爆資料館では中国系の方々が、それぞれ真剣に展示を見ていらっしゃる姿を見てきました。日本を含むどこの国でも、他者の苦しみについて想像しようとする人とそうでない人がいるのは同じだと思っています。

そして私自身、他人の苦しみを他人事だと思ってる部分は大いにある。これじゃだめなんだよなぁ。。

・ちなみに、日本の平和教育はぬるすぎる、と思っています。それはまた別の機会に書きたいところ。